ヤマカサのプログラミング勉強日記

プログラミングに関する日記とどうでもよい雑記からなるブログです。

[Yahoo!ニュース] AIで女性の顔の“魅力”も数値化――東大で研究中の「魅力工学」とは?

AIを使って女性の顔の魅力度を数値化

headlines.yahoo.co.jp

 

内容

テレビも新聞もないのでネットの記事を読むことが多い僕ですが、AI関連の記事があったので読みました。

2018年5月に開催されたMicrosoftの年次イベント「de:code 2018」で東京大学で研究を進める山崎俊彦准教授によるセッションに関する記事です。人が感じる魅力を工学的に研究する分野を「魅力工学」と呼ぶそうです。この研究の中で女性の顔の魅力度を数値化し、その顔に合うような化粧を提案してくれるそうです。どのような化粧が提案されるかは、その女性の顔を元に魅力度を最大化する化粧を予測する問題をAIに解かせます。

記事によると女性の顔の魅力度は、「古今東西大体同じ評価尺度が存在する」そうです。一方で男性の顔の魅力度に関する評価尺度は複数あり、数値化することは難しいみたいです。

教師データを作る上で、女性の顔をさまざまな人に多く評価され、1~5点の点数が付けられます。

感想

画像処理はディープラーニングと結びつきがよく、よく取り上げられる分野だと思います。

研究内容は面白いと思ったんですが、人の顔に点数を付けるというのは倫理的な問題が生じてしまうのかな?とも思いました。評価を行った母集団は、男性と女性の割合や日本、欧米、アジアのどの文化圏の人なのか気になりました。

女性の魅力度が古今東西大体同じ評価尺度が存在するというのが意外でした。平安美人は現代の魅力の基準と変わらなかったのでしょうか。化粧の表現も相当変わっていると思うんですが、どうなんでしょう。

個人的に思うことですが、顔の魅力というのは社会や文化が作り上げたものだと考えます。

大昔の事を考えると、人間の目の大きさや配置が与える視野の影響があるとすれば、ベストな目が魅力に繋がるのかな?と思ったんですが、あんまり関係ないような気もします。そもそも文明が発達していない時代において人を顔で選ぶメリットが分かりません。身長が高いとか体が大きいとかなら分かるんですが・・・。

文化的な背景の下で女性の顔の評価尺度が誕生したと仮定すると、同じ評価尺度が存在するというのは高度に文化が発展した結果なのでしょうか。それとも、文化が成熟していないために同じ評価尺度が存在するんでしょうか。男性に同じ評価尺度が存在しないのは、文化が未発達だからでしょうか。

目が大きくて、鼻が高くて、輪郭がシュッとしているのが美人であるというのが共通認識としてあると思います。こういうような系統の顔をメディアが美人と定義することで、評価尺度が作られると推察します。美人というのは、女性を母集団としてその母集団の上位数パーセントの位置にいると思います。逆に、ブサイクというのも下位数パーセントだと思います。ここで、評価尺度を反転させると、つまり現在の評価尺度でブサイクとカテゴライズされる顔をメディアが美人と定義すれば逆のことが起きると思います。つまり、魅力的と感じるものは本能的に感じることはできないと思うからです。(本当にそうなんだろうか?)

一番思ったことは、女性の顔の評価尺度が複数あるべきで、そういった方に文化が発展して欲しいです。多様性ですよ。多様性。似たような顔がたくさんあってもしょうがないと思います。全員が美人だったら、美人は存在しないんです。

それと、日常生活で化粧って必要なんでしょうか?肌を紫外線から守るために日焼け止めやファンデーションとかをするのは賛成なんですが、この記事でいう魅力度を上げるためにとかっていうのはどうなんだろう。魅力度云々については、評価する側が問題だと思います。顔で評価されるために化粧を強いられていると思います。自分の顔は鏡を見ないと分からないですし、マニュキュアとか違って自分が目につくものでもないです。他人がいるからこそ化粧をする・・・うーん。服とかも全部そうか。

僕には縁遠い話なんでどうでもいいっすな( ;∀;)。

まあ、感覚を数値化するという試みは大事だと思います。ファジィ理論とかであいまいさ性を扱うための内容を学んだことがあるんですが、忘れました。あいまいっすね。